小学校低学年の学習は気づかせる指導が大事
戦国武将の考え
- 「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」・・・織田信長
- 「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」・・・豊臣秀吉
- 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」・・・徳川家康
これは戦国武将の性格を表したのもです。
ホトトギスを子どもの教育と置き換えてみよう!
人間は生まれてから、多種多様な体験を基にして、今の人類が共有している感性と常識を獲得していきます。
それらの能力は実体験を通し育成され開花するのであって、時間が経過すれば自動的に獲得されるものではありません。
ホトトギスを鳴かすというところを子どもを教育すると置き換えれば、上の武将の考え方が理解できます。
信長の考え
自分の意志を優先して、他者は従うか反するかの二者選択を迫っています。
そこには子どもに対する多様性を認め、守り抜く考えはありません。
秀吉の考え
子どもをあらゆる手段を使って、親の思う方向に向けさせる強い主体と指導力は感じます。
しかし子どもの自主独立を育んでいこうとする考えはないように思います。
最近の親が良くやる方法として、成績が良くなったら、褒美を与える等の手法がこの考え方です。
家康の考え
子どもの可能性を信じ、必ず勉強するという見通しを持って対峙し、気づきを大事にしています。
子ども側にたった手法で子どもに重点があり、その自主性を尊んでいるのではないでしょうか。
この考え方から浮かび上がってくる良好な教育とは
- 知識や経験が少ない子供を教育することは、一定の社会のルールと常識を持っている大人と比べ、大変難しいといえます。
- 子どもの各種学習能力は実体験を通し育成され開花するのであって、時間が経過すれば自動的に獲得されるものではありません。
- なぜならば、大人にとって当たり前のことが、子供にとっては何を意味するのかが理解できない場合はあります。
- もし、子どもが理解できていないと感じたら、そのことを咎(とが)めるのではなく、諭とし、解るように指導し、あらゆる方法を通し”気づき”を促さなくてはなりません。
- 反対に「何故わからないの?」等と咎めていくと、子どもに劣等感などの屈折した感情を抱かせる要因ともなります。
- 又、どこかの教室のように決まった事だと決めつけさせ、暗記させてはいけません。
- つまり、“気づき”に重点を置かなければならないし、その理解能力が出来るまで、指導者は待たなければなりません。
“気づき”の内容
子どもたちがいろいろな体験をして、その中からこれはいいぞ、これはやばいぞ、あの人は親切だ、あの人は嫌いだとの感覚の“実体験”が大事でしょう。
また、教材、教具等を使って、その教科の中身を理解させる事が大事ではないでしょうか。
さらに、4年生頃から、それまで曖昧だった自分に気づき、自分を客観的に見つめることができ、はっきりと自分と他者を区別してきます。
抽象的な考え方も人間の頭の構造が変化成長して、理解できるようになります。
つまり、子どもの教育は理解が出来ていない未開発領域をどのように理解させるかが最も指導者が心砕かなければならない領域だと自覚しなければなりません。
結 論
小学校高学年になって来れば、、論理的思考に重心が置かれ、“気づき”による指導は比率が小さくなっていきます。
したがって、未就学児、小学校低学年の時に、まだ子は「感覚と理解」を持ち合わせていないと判断した場合は“待ちの気づき”にお徹する態度が、子どもたちに健やかな成長を促し、指導者に対する信頼も厚くなります。